Wednesday, June 19, 2013

塞翁さん

前のPOSTで文句っぽいことを書いてから日が経って、”許し”などと書いただけで許してなかったけどいつものごとくここに書くと結構現実とリンクするので、とにかく気は軽くなってついでにもっと軽くなることが起こってしまった。

また住処が変わりそうだ。
また違う形の住処になりそうだ。

とにかくどこでもかんでも変化変化で、私の変化ではないのにそれに繋がっていて影響を受けて私まで変化が起こる。

いいと思った出来事が、その後そのせいで悪いことが起こったり、悪いことが起こったと
思っていたらそのせいでそれがいいことに繋がったり、そーゆーのを塞翁が馬と言うそうだ。さいおうがうま、ですよ。こほん、解説しましょう。

塞翁さんの飼っていた馬が逃げた。周りの人々が慰めると、塞翁さんはこれが悪いこととは限らない、と言った。そのうち、逃げた馬は駿馬を連れて帰ってきた。馬が二頭になってまわりのものがよかったね、というと、これがいいこととは限らない、と塞翁は言った。そしたら息子がその馬に乗って、落馬して足を折ってしまった。まわりはお気の毒にと言った。塞翁は必ずしも悪いことではない、と言った。まもなく戦争が起きて成人男子は戦争に行ってほとんど戦死してしまった。息子は、足を骨折していたため戦争に行かなくてよかった。
と言うお話。
(オセロの裏表みたいね)

こんな話をふむふむもっともだ、とありがたがって聞けるというのはやはり年の功です。
若いときからわかっていればよかった。
今うちの若い衆は悩んでいる。
苦悩しまくっている。

息子と娘が人生について悩んでいる。
何故悩むか。
それはマインドセットがあって、それに沿わないことはだめだと思っているからではないか?
育った環境で”こうでなくてはいけない”という刷り込み・マインドコントロールがあって、
それはTATOOよりも深く身体と精神に刻み込まれている。

そんなものから自由になろう!

”こだわり”が人を不幸にする、というのはこのBLOGでもよく私は書いていますが、
けっこうこれ、核心をついてるぜ。
そうは言っても若いころの子育て中の私もすごーく子供に価値観の押し付けをしたもんです。
申し訳なかったです。親でさえいつも未熟な発展途上なのです。

どうか、広い世界に出て行って見聞を広め、自分の守っていた価値観は自分の幻想に過ぎなかったと、気づいて、歩みだしてほしいもんです。息子。






1 comment:

little princess said...

塞翁が馬は先日、夫と話していて、出てきたことばだ。人生で起こっていることはただ起きていることに過ぎず、勝手にそれぞれが良いとか悪いとか言っているだけだもんね。自分に都合が悪けりゃ悪いになるし、良ければ良いになるみたいな。だけど、起こっていることをいろんな角度から見ていると別にだいじょうぶなんじゃない?って思えてくるのね。すると、ラクになるんだよね。